本日は、最近中心的に取り組んでいる大乗仏教の起源とその推進者の実際にかかわる問題を、大乗仏教の説法者としてのダルマバーナカに視点を当ててお話しします。
まず、大乗仏教とは何かをひと言でいえば、新たな教えを経典として編纂し、それを宣教していく宗教運動といえます。最新の研究では、紀元前1世紀頃から北西インド、あるいはガンダーラなどで始まり、次第にその周辺地域に広まったとされます。さらに、インド各地においても幾つかの信仰集団が新しい教えを中心に結成され、それぞれの経典として纏められていきます。それらは大乗経典と総称されますが、さらにそれらの経典が随時、各地域の言語に翻訳され、多様な教えとなって広がっていきました。
その大乗経典が誰によって編纂されたのかですが、編者が明記されないためわかりません。すべては伝統に従って、ブッダが説いたということになっています。そのよく判らない編纂者、あるいは伝承者について、本日はダルマバーナカ、つまり説法師を取り上げてみたいと思います。
最初に、大乗の説法形式として、法滅という要素があることを指摘しておきます。法滅思想とは、ブッダの説かれた正しい教え自体も〈無常〉の例外ではなく、その伝統はやがて滅してゆくという悲観的な仏教史観のことです。仏滅後500年経ち、仏の教えが顧みられない酷い世界にこそ、新しい教え(大乗)を支持する菩薩が必ず現れますよ、というわけです。『般若経』であろうが、『法華経』であろうが、ほとんどの大乗経典で同じことが説かれています。
それでは、説法師(ダルマバーナカ)のお話に入ります。まず、ダルマバーナカというのが説法師の原語です。ダルマは法、バーナカは説く者という意味で、大乗仏教において初めて使われた言葉です。
『金剛般若経』に面白い表現があるので見てみましょう。ここでは、ストゥーパ(仏塔)とは少し違いますがチャイティヤ(塔廟)が登場し、「チャイティヤに等しい場所」という表現がなされます。
「須菩提よ。ある場所で、この法門の中のたとえ四句からなる詩頌を一つだけでも把握し、解釈し、あるいは説明することがあったとしましょう。その時そこは、神々や人間やアスラ(阿修羅)を含めたすべての世界にとって、塔廟に等しいもの(caityabhūta)となるでしょう。たとえ誰であっても賢い師にふさわしい場所になるでしょう。」
これは驚くべき言葉です。例えば、私がある所で説法者として説法をします。その場所が、ブッダの遺骨が本来納められていて、そこで多くの人が修行をするような場、それと等しいものと考えるべきだと言っているのです。つまり、説法者が教えを説くその場所が聖地になるのです。そしてそこは「チャイティヤと等しいもの」となるべきだといいます。漢訳でも「如佛塔廟(にょぶつとうびょう)」とあるのがそこです。
そして、「その場所には師がおられることになるだろう」と言われます。たとえ師がいなくても、そのように説かれるところはそうなるのだ。あるいは、誰であっても師にふさわしい方がおられることになります。
今のは『金剛般若経』でしたが、この「四句から成る偈頌とチャイティヤに等しきもの」云々の表現が、大乗仏教の起源に関わるものとして有名です。実はグレグリー・ショーペンという学者が注目していた一節でもあるのですが、むしろその後の文章(たとえ誰であっても賢い師にふさわしい場所になろう)の方が大事なのです。
初期大乗の代表的な経典の一つである『宝積経(ほうしゃくきょう)』の「迦葉品」にも、「説法師に対して、まさしく如来に対するのと同様な尊重の心を起こすべきである」とあります。
『法華経』も同じで、ダルマバーナカを唱題とする「法師品」では、教えが説かれる所に対して「ストゥーパに対するような恭敬と尊重と尊敬と供養と讃仰が行われるべきである」とあります。そして、そこに必ずしも如来の遺骨が納められる必要はありません。それは、「そこにはすでに如来の完全な遺身が安置されているからだ」と述べられます。
また、このような教えを説く説法師は、森や人気のないところに留まる修行者であり、経典の編纂も行っていました。彼らは「これら比丘たち」と言われるように、明らかに出家者でしたが、当時の僧団からは、異教の教義を広めるとして疎まれ、精舎から追い出されました。このように非難される異端であることが、『法華経』に書かれています。その理由は、自分勝手な教えを説き、経典を勝手に編纂する。しかも集会の中心となって説法を行う、こういうことが非難を浴びたのです。これらの詳細な『法華経』の記述は、当時の教団の内情を示すものだと想像できます。
以上のように、ダルマバーナカこそが、新たな大乗経典の製作を担い、大乗の宣教を行う、まさに大乗の推進者だったという訳です。
※本発表の詳細は、『禅研究所紀要』第四七号に収録された講演録をご参照下さい。(石)