愛知学院大学 禅研究所 禅について

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講演会レポート 平成30年度

六道輪廻図(生死輪(しょうじりん))から観心十界図へ ―仏教世界観を美術から読み解く―名古屋大学名誉教授、龍谷大学名誉教授 宮治昭

私は、インドから中央アジアの仏教美術を研究し、仏教美術をインドから日本まで何とかしてつなげ、伝播や変化の様子などを考えています。広く、仏教世界観を美術から読み解くというお話です。

その中でも、インドやチベットでは「生死輪」というものがあり、中国では「観心十法界図」というものに変わりますが、今日はそのお話をします。

インドの「生死輪」で現存するのは、アジャンター第十七窟にあります。この石窟は、銘文から5世紀第4半期の制作だと分かっています。

「生死輪」とは、生きとし生けるものが悟らない限り、永遠にこの中で経へ巡めぐることを表した輪っかがあり、その中心から放射状に線が延びて衆生が生きる世界を区画で表現し、五趣か六道に分かれます。さらに、無常大鬼(むじょうだいき)という鬼が、上から輪っかを噛んだり、手足で抱え込んでいます。我々は「貪(とん)(欲望)・瞋(じん)(怒り)・癡(ち)(愚かさ)」の三毒から離れることができず、結果として迷いの世界の中に閉じ込められているのです。これが作られた理由として、「経」や「律」では仏陀が人々に絵解きするようにと説いており、仏陀の教えを守り、この輪っかの中から解脱するように示したのです。

チベットでは、お寺の入り口に「生死輪」が描かれます。中心円には「貪・瞋・癡」の三毒の貪はハト、瞋はヘビ、癡はイノシシで象徴的に表しています。第二の円の下には、地獄・餓鬼・畜生、上には人間の世界と天の世界を描いており、その回りに十二支縁起を描き、やはり、無常大鬼が輪っかをかじっています。

そして、この「生死輪」が中国に伝わります。中国の例は、あまり多くないのですが、興味深い例としては、インドやチベットでは、中心円はもともと三毒を表していたのですが、そこに瞑想をしているお坊さん(禅定僧(ぜんじょうそう))を表すようになります。

中国では四川省の宝頂山大仏湾という所に「生死輪」が残っています。構成はインド・チベットとほぼ同じですが、真ん中に禅定するお坊さんの姿があります。胸から光の帯のようなものが出ており、瞑想によって輪廻から脱することを、象徴しているのです。

また、面白いのは一番外側です。人間は亡くなって四九日経てば別の生きものに生まれ変わるとされます。しかし、生前になした行いの結果でどうなるか分からないともされます。その様子を象徴的に表すために、頭は人間の頭で、後ろは動物のしっぽになっていたり、あるいは動物の頭で人間の足になっていたり、いろいろ変化する様子を表しているのです。

ところで、「生死輪」は中国で大きく変化しました。それは「観心十界図」と呼ばれる絵図となり、独立したものになります。「観心十界図」では、中心に「心」という字を書き、周囲には六道に加えて、声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)・菩薩・仏の十界を描く点で、「生死輪」と大きく異なり、輪を抱える無常大鬼も出てこないのです。

日本では、平安時代末期から鎌倉時代に「観心十界図」が伝えられたのですが、あまり広まりませんでした。一方で「六道絵」が人々の関心を呼び、多くの作例があります。そこでは特に、六道の内、一番苦しみの多い地獄と餓鬼と人間を強調して絵に描くわけです。それとともに極楽が描かれ、極楽往生が願われますが、浄土教の発展が六道絵と結びついたのです。

本来、仏教とは自分で修行をして、仏の教えをよく守り、それによって解脱したり、仏の世界を目指すのが元々だったのが、いかにも現世や地獄は苦しいから、阿弥陀仏の極楽浄土を願い念仏するのがいいという方向に、信仰が移って行ったんだろうと思います。

しかし、江戸時代になると、「観心十界図」や「生死輪」が復興するようです。その復興のあり方は、それまでの地獄・極楽の観念が非常に強く、十王図などとも習合し、お地蔵さんなら地獄や餓鬼に落ちても助けてくれるという話にもなり、最後には阿弥陀さんの世界に生まれることができるという世界観になっていくわけです。

最後に「熊野観心十界図」です。江戸時代を中心に、熊野比丘尼(びくに)によって広められました。この絵には真ん中に「心」という字が入り、「観心十界図」と関係があります。ただし、心を見つめる絵というよりは、地獄とか餓鬼とかの苦しみを、お坊さんによる施餓鬼供養などで救う様子を描いています。

面白いのは「老いの坂」という図です。坂道を上る姿で人間の一生を示し、周囲の木々もサクラからマツ、そしてモミジへと変わりゆく様子を描くことで、人生の過程を理解させる内容です。

結びですが、「生死輪」とは、インドやチベットでは、元々寺院の入り口に五趣や六道のありさまを描いて、我々の行為には必ず善悪の結果が現れる、自業自得だと言っているわけです。苦しみの世界は限りなく続きますので、仏教の教えを守って精進することによって、涅槃の道に至ることを人々に絵解きしたものでした。

そして、中国以東の東アジアでは「生死輪」と、十界はすべて心の働きによって生じることを教える「観心十界図」とが混交しながら発展していき、天台や華厳の思想とも結びついて、図像的にバリエーションを生みます。しかし、日本では、「生死輪」は「観心十界図」に吸収されて「六道図」となり、六道の中でも特に地獄の苦しみを脱して、念仏によって極楽への道を説く「熊野観心十界図」のような、独特の絵解き図像を生み出したのだと思います。

※本発表の詳細は、『禅研究所紀要』第四七号に収録された講演録をご参照下さい。(研)

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