天台教学とは、狭義には智(ちぎ)(538〜597)が大成した仏教学のことをいいます。智は天台山の山中に住したため、智の仏教学を天台教学と呼ぶようになったわけです。
ここでは、天台智の仏教学がどれほど道元禅師の宗義形成に影響を及ぼしているか考察してみようと思います。
智の仏教学の特徴は、(1)独自の『法華経』観、(2)「天台止観」の修行論、(3)『涅槃経」の重視、(4)臨終観および浄土教思想、(5)菩薩戒優位の考え方、(6)「三昧行法」「懺悔法」などの仏教儀礼、(7)『維摩経』『金光明経』『仁王般若経』『金剛般若経』などの諸研究、の7点にまとめられます。
この中で、(4)の浄土思想のみは、道元の宗旨と直接的な契機は見つかりませんが、あとの諸点については相応の関係が認められます。(1)の天台教学の『法華経』観は、道元の宗旨の根幹に関わるものが認められます。(2)の天台止観の修行論は、道元の非思量の坐禅、不染汚の修証と深い関係が認められます。(3)の『涅槃経』観は、殊に晩年の十二巻本『正法眼蔵』に顕著に見られる『涅槃経』の頻繁な引用態度と相応の関係が認められます。(5)の菩薩戒思想は、道元が如浄から受けた『仏祖正伝菩薩戒作法』や『教授戒文』、『正法眼蔵』に見られる菩薩戒優位の主張に直結しています。(6)の仏教儀礼の重視は、道元の「作法是れ宗旨」とする『永平清規』の意義へと連なるものであります。(7)のその他についても、道元がこれらの経文を著述の中に引用し宗義を展開している点で相応の関係が認められましょう。
このような諸点で、道元の仏教学には、天台教学からの影響が認められるのであります。数え上げたこれらの天台教学の特質を一口でまとめると、天台教学は「教学理論と修行実践を統合する仏教学」であるといえましょう。いわゆる「教観相資」「教観相修」の教学であります。
もっと集約するならば、禅定(止)と智慧(観)を一体化する仏教学ともいうことができます。「止観明静」「寂照止観」「定慧不二」などと表現されるものがそれにあたります。
こういう天台教学が主張した「教観相修」の仏教学は、後世、禅宗で強調する「教外別伝」の主張と厳しく対立することになるのであります。道元の禅宗批判の視点は天台教学の側から発せられた禅宗批判と似ている面があり、この点からも必目されるのであります。
道元の入宋時の天台教学では、禅宗の「教外別伝」の主張は仏教の正しい理解をはばむものであり、何の意義も認められないものであるという見解で一致しており、道元が聞いた如浄の「教外別伝」の理解も、こういう流れの中で語られたものであります。『宝慶記』に記されるような禅宗と教宗に対する是々非々の公平な態度が、道元の「正伝の仏法」としての自覚を確立させたことが知られましょう。
如浄禅師の言行を伝統の天台止観の語で検証し、その正当性を証明しようと努力した道元の仏教学の秘密はこの辺のところにひそんでいるように考えます。
そのことは逆にいうと、日本の中古天台の本覚法門であいまいにされてしまった天台教学の筋の良さを道元が改めて再評価し、時代に相応する天台教学として新たによみがえらせることになったといういい方もできるのではないでしょうか。