私がなぜ尼僧の研究をしようと思ったか、その動機からお話ししたいと思います。それには次のようなエピソードがあります。
1980年、早稲田大学に留学していた時、他の留学生と寺に行く機会がありました。それまでは歴史の上でしか日本の仏教を知らず、むしろ理想的に見ていたのですが、その時、住職から現在の活動などのお話をうかがい、葬式仏教という日本の仏教のあり方を知って違和感を覚えました。
ところが、87年にインドに4ヵ月ほど滞在した時、ブッダガヤで日本の尼僧さんに出会いました。彼女の笑い声は大変深みのあるもので、どのような修行でそのようになったか、慈悲の心を育てるのにどのような経験をしてきたのか、その笑い声の泉は何処にあるのかと、大変興味を覚えました。彼女が愛知専門尼僧堂の人と知り、尼僧堂や道元などについていろいろ話す中で、私は、日本の仏教の生きた宝が見つかったという気持ちになりました。そして、89年に尼僧堂にやって来て4ヵ月だけそこで生活をし、その後9ヵ月間、近くに住んで調査研究をしました。
また当時、94歳にもなる小島賢道という尼僧さんが富山県にいらっしゃって、そのそばにいたいというそれだけの気持ちで、1週間お世話になりました。小島先生は、宗務庁に向かって規則を平等にしなさいなど、活発に活動した20世紀の曹洞宗尼僧史上、重要な人物です。当時はすでに宗務庁と戦っている時の面影はありませんでしたが、そのような方と一緒にいる時間がとても有難く思えました。帰る時に、尼僧さんのことを博士論文として研究しても良いかとたずねますと、先生は高齢で小さくなった体をピンと伸ばして頭を畳につけ、ようやく頭を上げると、「どうかこの研究を完成してください、お願い申し上げます。あなたに会うためにわしはまだ死ねなかった」と、おっしゃってくださいました。そこで私は、研究の完成を決意しました。この研究は、そのような人間関係がなければできなかったのです。
私は、道元禅師が尼僧を差別していたとは考えませんが、20世紀の初頭、尼僧の地位は大変低いものでした。その後の様々な運動によって、尼僧の地位が前より平等の方向へ近づき、曹洞宗では、1989年に規則を変更し、規則の上では尼僧の地位が男性僧侶と平等になりました。その変更で、それまで名前の後につけていた「尼」を取るということがありましたが、尼があったから差別されたのではありません。尼を取ると却って差別が外に現れにくくなり、差別しやすくなってしまいます。区別するために、むしろ男性僧侶にも「男」を名前につけて欲しいと思います。
20世紀の尼僧さんたちのほとんどは、本来の伝統的出家生活にあこがれて出家した人です。彼女たちは、平等な規則を作るための戦いによって、本来の教えを明らかにし、その活動は男性僧侶たちとは別個の特徴的なものでありました。その中で尼僧さんたちの生き方は、仏法的生き方を保持し改革するものであり、彼女たちは伝統を保持するための革新者だったのです。