現在、私どもの研究所では、資料の電子化、インターネットでの提供に力を入れています。今日は研究所で何をやっているかを紹介し、それに基づき私が英訳した『摩訶止観』のCD−ROMを取り上げて、翻訳や文献の電子化の問題を考えていこうと思います。
私どもの研究所では、ホームページを運営していますが、その中で感じていることは、文献の電子化は非常に将来性が頼もしいということです。そこで、私どもの方針として、出版物をできる限りインターネットで紹介しようとしています。特に研究所で発刊している "Japanese Journal of Religious Studies(研究所報)"は、PDFファイル化してネット上に掲載し、併せてCD‐ROM化しています。
電子化することによって、検索に大変便利になりましたが、編集の段階でもPDFファイルを使って、ネット上で著者との校正のやり取りができることも利点です。
しかし、限界もあります。それは漢字フォント(外字)の問題です。現在は大分よくなりましたが、10年以上前に作製したファイルでは、検索にかなり制限があります。
また、著作権の処理も大きな問題でしょう。私どもは、ジャーナルに載せれば、著作権は研究所にあることをはっきりと述べて、了解してもらっています。そうしないと、後で問題が起こってきます。
このようなことを私どもの研究所ではやっていますが、禅研究所でも、いろいろな情報を電子化して、提供していただけると有難いです。
次に『摩訶止観』に話を移します。1985年に『摩詞止観』10巻の英訳の話があり、訳し始めたところ、注などの問題もあって、なかなか進みません。そこで、最初の4巻を仮出版しようという提案があり、それを仕上げることに力を入れました。しかしそこで、バブルがはじけてしまい、『摩訶止観』はやればやるほど注や補足資料が増えるばかりで、出版が困難になってしまいました。ところが一年程前、PDFファイルをOCRで処理して検索可能なファイルに出来ることを知り、これは印刷して刊行しなくても、費用のあまりかからないCD‐ROMにしたらいいのではと考え、出版社に提案をしたところ、やりましょうということになりました。
CD‐ROMにしますと、膨大な量のデータを収録できますので、今までの紙の刊行物では、削除あるいは制限をしなければならなかった注も、そうしなくて済むようになりました。そこで、私の翻訳は二つのファイルに分けました。一つは注や補足の情報を全て入れた大きなファイルです。そこには、語句の説明から参考文献や引用経典のりストも入れてあります。もう一つは、翻訳文だけのファイルです。翻訳に際しては、伝統的解釈に囚われず、『摩詞止観』そのものを解釈することを心掛けました。このようにファイルを二つに分ければ、手軽に読むことも、詳しく見ることも可能です。また、語句の検索も可能です。これはCD−ROMの利点です。
いずれにせよ、文献の電子化は、優れた可能性を秘めた分野だと思います。