愛知学院大学 禅研究所 禅について

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研究会レポート 令和元年度

近世禅宗寺院の空間構成・意匠の研究愛知工業大学教授 杉野丞

 私は30代から禅の建築の研究、特に近世のものを研究していました。10年以上をかけて曹洞宗、臨済宗を含めてかなりの数の寺院を調査してきました。

 それから最近では中国にも調査に行っております。長江、揚子江流域の江南地域に多くの五山の寺々がありますが、日本の建築の源流を探ることが出来ます。

 中国の場合は地域が広いものですから、建築的に見ると地域差がかなりあります。日本への影響ですが、奈良時代の北魏とか隋・唐に関わってきた時代の建築は、多くが河北のものです。それが平安時代を通じて、和様という形で日本の文化の中に根付きました。禅宗の場合は、鎌倉時代に日本に移入されてきて、建長寺に最初に入りますが、地域的に見ると江南の建築様式です。

 日本は和様、禅宗様、大仏様、それぞれの特徴を建築的に議論しますけれども、別の見方をすると、中国の河中の伝統がそのまま入っています。もう一つが河南です。東大寺の南大門など大仏様と日本ではいわれますが、福建省から広東省辺りまでの影響があります。

 今年の5月に永平寺の伽藍の19棟が新たに国の重要文化財になりました。

 文化財の保護制度については、廃仏毀釈の時期に壊れたものを明治政府は意識しまして、一度遺構の調査をしました。その後、明治30年に古社寺保護法、特別保護建造物などで国宝の指定がされました。近年、平成に入ってから登録文化財制度が始まって、築50年のものも登録の対象になります。

 ただし、補助制度がかなり違いまして、国宝・重要文化財は修復保存で8割近く公的な資金が投入されますが、登録文化財の場合には、設計管理料の半額とか、財政的な支援というのは限られます。

 今回、永平寺が重要文化財に指定されましたが、文化財指定の年限はかなり下がっています。重要文化財の下限は、だいたい江戸時代の寛文年間の建築くらいまでは来ています。一方で、近代化遺産ということで、近代の建築も指定されるようになっています。

 続いて、各地の禅宗建築についてですが、京都の五山は平地につくられています。一方で、道元禅師が開いた伽藍の構成を見ますと、中国のものと同様に、階段状にせり上がって行きます。つまり、山の一角に建てて、かつ手前の屋根の様子が後ろにセットバックして、ずっと見えていくことになります。その意味では、京都の五山の系統で特に平地に建てられていく伽藍の構成と、永平寺が持つ後方にずっと上がって行く伽藍で、中国的な伝統を持っているのは、曹洞宗の方が近いという感じがします。

 中国の天童寺に行かれた方も多いと思いますが、段を上がっていく伽藍の構成は臨済宗の本山の構成よりも、永平寺の傾斜がある建築に近いという印象はあります。

 中国では天安門事件以降、かなり宗教的な弾圧を受けたのですが、台湾辺りから支援を受けて、中の改装をしていきます。日本とは様子が違って、金箔でピカピカにし仏様も変わっていきます。仏像とか彫刻を専門に研究されている方からは、さまざまな意見があろうかと思います。

 日本の五山の系統は、応仁の乱でほとんど焼けますが、この再建は五山にとっては大変でした。林下(りんか)の妙心寺と大徳寺は再建がかないましたが、この両派は知行(ちぎょう)制度によって、疲弊したところを、多くの末寺を抱えることで教団を支えていきました。

 曹洞宗の本堂ですが、現代使われている建物では慶長年間のものが一番古いものですけれども、大間があって、内陣があって、それから左右に部屋があります。これらの部屋の構成は、おそらく臨済宗の場合も曹洞宗の場合も、塔頭の客殿や方丈の系統から、本堂へと変わっていきました。

 愛知県の岡崎市にある龍渓院(りゅうけいいん)の本堂が江戸時代の初期のものです。寛文年間ころのもので貴重なものです。同院は常恒会地に相当して法堂がありますが、面白いのは、建物の中心軸に入り口があるわけではないのです。古図などを見ると、本堂とは書かなくて、大客殿とか客殿という言葉がたくさん出てきます。なぜこうなるかというと、部屋が奇数間ではなく偶数間になっています。4部屋前にあって、後ろに4部屋あります。中心は向こうから2部屋目のところですから、向かって右が1部屋長いわけです。

 曹洞宗の場合は大きな寺院はほとんど8部屋で構成されて、土間を持っていて、大きな縁側を回廊で一巡させています。龍渓院の場合には、角柱で露柱に当たるところに虹梁を渡していますが、古い印象です。

 曹洞宗では正面に露柱といって、丸柱で虹梁とかを通して組物を置いて、地方寺院では、法堂と同じ機能を果たしますから、知事や頭首(ちょうしゅ)などの役僧がここで並ぶときの立ち位置を、露柱は決定することを伺ったことがあります。臨済宗では法堂の役割を、ここへ直接には求めないとのことです。

 曹洞宗は、土地堂・祖師堂といって本尊の両脇に大現修理菩薩と達磨大師を祀っていますが、この内陣の装置は、臨済宗でいえば、五山と妙心寺の系統では違いがある印象があります。また、曹洞宗の地方寺院の開山堂は、開山と道元禅師とか、二祖・三祖と祀っていくのですが、江戸時代の後半になって行くと徐々に、多くの頂相(ちんぞう)を列挙するという様子になります。

 大分県の泉福寺の開山堂には、卵塔(らんとう)があって頂相をお祀りします。私は曹洞宗の中で、今申し上げたこの卵塔が、この開山の頂相の下にお祀りしているという、本来の開山堂の姿というものを継承していると思います。

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