道元の師であり、道元禅の源流とされる天童如浄については、近年、その実像に対する見直しが進んでいます。本日は、道元禅における如浄の意義を、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』「梅華(ばいか)」巻で開された、如浄の詩偈に対する道元の解釈を検討することで解明したいと思います。この試みを通じて、道元禅と如浄禅との関係を改めて見直すとともに、道元の思想構造の一端も明らかにしたいと思います。
寛元元年(1243)11月、越前(福井県)の吉峰寺(きっぽうじ)で記された、道元の主著『正法眼蔵』の「梅華」巻は、全編が『如浄語録(にょじょうごろく)』所載の梅花に関する偈の提示とその解釈から成り立っており、『如浄語録』に全面的に依拠している点で特徴的な巻です。
「梅華」巻を撰述する直前の寛元元年7月、道元は京都より越前へ下向し、大仏寺(後の永平寺)が完成するまで、吉峰寺に滞在していました。 「深雪参(三)尺」(「梅華」巻奥書)の中で、先師如浄の「梅華」の偈頌に基づき、「梅華」巻を執筆しているところからは、遥か遠くではあるけれど、春の到来(梅の花は春の訪れを告げる)を予感しつつ、先師の仏道を継ぐ覚悟を新たにしたものと思われます。
風雪に耐えて清香を放つ梅の花は、禅の文脈において、風雪に耐えることが厳しい修行を、馥郁たる清香を放つことが教化をシンボライズするものとして扱われ、梅の花やその開花は「さとり」の象徴とも理解されました。
道元の「梅華」巻では、悟りの花が開き伝わる世界の構造を究め、その世界を言葉によって再構成しようとする意気込みが見て取れます。この点を「梅華」巻の冒頭に引用される如浄の偈に対する解釈から考えてみたいと思います。如浄の偈は次の通りです。
天童仲冬の第一句、
槎槎(ささ)たり牙牙(がが)たり老梅樹(ろうばいじゅ)、
忽(たちま)ちに開華(かいけ)す一華両華、
三四五華無数華。
清誇(せいほ)こるべからず、
香(こう)誇るべからず。
散(さん)じては春(はる)の容(よう)と作(な)りて草木を吹(ふ)く。
衲僧箇箇頂門禿(のっそうここちょうもんとく)なり。
驀箚(まくさつ)に変怪(へんげ)する狂風暴雨あり、
乃至(ないし)大地に交袞(みちみ)てる雪漫漫(せつまんまん)たり。
老梅樹、太(はなは)だ無端(むたん)なり。
寒凍摩さ(かんとうまさ)として鼻孔酸(びくうす)し。
如浄の偈それ自体について説明しておくと、如浄は、梅の古木(老梅樹)に悟りの花を開花させつつ鋭い機鋒(はたらき)をもって自由自在に弟子を指導する老練(ろうれん)な禅者の姿を見て取り、それを詩に託しています。
続いて、道元がこの偈をどのように解釈したのかを見ていきましょう。
道元は、老梅樹の自由自在なはたらきを、自ら悟りの花を開かせ、世界それ自身を悟らせていくものと捉えますが、これは修証一等(しゅしょういっとう)(修行によって本来的な悟りが顕現する)の思想を踏まえるものです。
そして、道元はこのような老梅樹の自由自在なはららきを「驀箚なる神変(じんぺん)変怪」(突然の不可思議な変異)と言い、それはみな「老梅樹の樹功(じゅこう)より樹功せり」(老梅樹の功徳によってもたらされた)と言います。この不可思議さとは、まさに世俗世界の常識、存在は他の存在と二元対立的に独立して存在しているという考え方を超えた存在同士が浸透し合い、一如(いちにょ)のものとなった真理の世界であると言えます。
そして、道元は如浄が悟った時、世界全体がその悟りと連動して悟ると述べますが、これは如浄が釈迦をはじめとする諸仏初祖を悟らせると言うことも可能にします。ただ、これはいささか奇妙な表現と言ってよいでしょう。
しかし、道元は、あえてこのような分かりにくい表現を用いることで、捉えがたい「さとり」やその継承(伝法(でんぽう))が、言語による固定化、実体化を超えた形で現成していると捉えていたと考えていたということができます。
このように見ると、道元による如浄の偈の解釈は、如浄自身の理解とはやや距離があるといえます。このような距離が生まれた理由としては、道元に大きな影響を与えた天台教学の諸法実相(しょほうじっそう)の思想などを想定することができます。