昨年1月12日に歌舞伎俳優の9代目澤村宗十郎が死去された。氏は女形俳優の第一人者であり、おっとりした古風な容姿は動く錦絵ともいわれた。
氏は毎年、御園座の舞台にあがる前に必ず拙寺へ立寄った。それは嘉永6年(1853)に亡くなった5代目(3代目助高屋高助)と明治19年に亡くなった6代目(4代目助高屋高助)が葬られており、境内にあるお墓にお参りするためである。
平成10年2月、氏が参詣された折に談話した。話の要旨は、
自分は多くの舞台を踏んできたが、最高のできであったと思ったことは一度もない。もちろん自信をもって舞台にあがるのだが、演じている瞬間にはもつと上にあるものがみえてくる。次はそれを自分のものにしようと努力し追いかける。すると、またその上がみえてくる。その繰り返しで今日まで来たようなものである。歌舞伎役者はこれでいいということがない。際限がない。死ぬまで勉強、それを怠ったらおしまいである。
と舞台に生きる氏の姿勢が不断の精進であることを説かれた。
氏の考えは、室町期の能役者世阿弥とも似たところがある。世阿弥は著作の『花鏡(かきょう)』の中で、三句の「初心忘るべからず」を説いている。
最初の「是非初心を忘るべからず」とは、若い時は未熟で失敗するが、その失敗した初心を忘れないならば能は上達する。未熟さを十分に自覚して生涯、初心を忘れてはならないと教えている。
次の「時々の初心を忘るべからず」とは、働き盛りになり、さらに老年にいたるまでそれぞれの段階にふさわしい表現を学ぶ。何れの時も初体験である。その時その時の初心の芸を忘れないことが大切であると説く。
最後の「老後の初心を忘るべからず」は、老人になれば老境の初心の芸を忘れてはならない。人間の生命は必ず終わりがある。しかし、能にはこれでよいという限界がない。老人には老人にふさわしい芸を覚えることが老後の初心の芸なのであるという。
生涯、この初心の芸を忘れずに過ごせば、これが最後ということはない。能の行きどまりをみることなく上達していく姿のまま生涯を終えることができる。これが世阿弥の究めた奥義であった。
江戸初期の宮本武蔵は『五輪書』に、
千日の稽古を鍛とし、
万日の稽古を錬とす
といい、朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)の厳しい稽古を説いた。しかも稽古は「千里の道もひと足ずつはこぶなり」という。千里の道を踏破するのは一朝一夕ではできない。一歩一歩着実に進んで千里の道となる。稽古を少しずつ積み重ね、継続することにより次第に奥義を体得することができるのである。
昨年はテ口事件、狂牛病問題など暗いニュースが続いた。そんな中で、私たちに希望と夢を抱かせてくれたのはイチ口ー選手であった。走、攻、守の活躍で、米大リーグの新入王と最優秀選手に選ばれた。その陰には並大抵ではない厳しい練習があったからであろう。穏やかなまなざしの中に秘める闘志、黙々と練習を怠らない努力、決してイチ口ー選手の天性のみではない。
「私は28歳で発展途上にある」といって、国民栄誉賞を辞退した彼の気持ちの中には、不断の精進の堅い決意があったからであろう。これからもっともっと活躍することを期待したい。
元旦に、イチ口ー選手より子供たちへのメツセージが「中日新聞」に出ていた。その中に、
大好きなことを見つけることが大事。好きなことであれば持っている力を出すことができるし、壁を乗り越えられるはず。「自分にもできるぞ」という目標を持ち、大好きなことを見つけて目標に向かって進んで下さい。家族や周囲の人が支えてくれていることも忘れず、感謝の気持ちを持って下さい。僕は選手としてまだ課題があります。これからも自分を磨いていきたいと思います。
と一つのことに突き進む努力・精進の大切さを述べている。
宗十郎氏、世阿弥は芸道の達人であった。武蔵は剣の達人であった。イチ口ー選手は野球の達人である。いつも向上心をもち不断の修養を実践する。それはまさしく禅の修行者と同じである。だからこそ円熟の境地に達することができたのである。『仏遺教経』に
汝ら此丘、若し勤め精進するときは、すなわち事として難きものもなし。この故に汝ら、まさに勤め精進すべし。たとえば少水も常に流るるときは、すなわちよく石を穿(うが)つが如し。
とある。一生懸命精進すれば何事もできないことはない。どんなわずかな水滴でも、長い間石の上に落ちていれば、いつかは石に穴をあけることができる。これは不断の精進の大切さを説いているのである。
不断の精進とは特別な行いではない。一歩一歩着実に稽古、練習を積むことである。それが必ず大きな力となり、道の深奥を体得することができる。
私は生涯学び続け、精進していかなければならないことを沢村宗十郎氏、世阿弥、宮本武蔵、イチ口ー選手よりあらためて教えられた。
(教養部教授)