道元禅師に「身心学道」の言葉があります。身で学び心で学ぶこと、身学道し心学道することですが、身心不二というように区別はできても切り離すことは出来ません。身は心の身であり、心は身の心であって、紙の表裏のようです。
しかし、この身心学道を決択するに「参師聞法」と「工夫坐禅」があり、「聞法は心識を遊化し、坐禅は行証を左右にす」と言います。この坐禅をする要術として、一般に「調身、調息、調心」が説かれています。そこで、身心の橋渡しとも言うべき呼吸について、あれこれと思いを巡らせてみたいと思います。
言うまでもなく、呼吸の呼の字は静かにゆっくり息を吐く意昧であり、吸は吸い込む意味です。この呼吸を我々は、無意識に行い生活しています。意識するとかえって息苦しくぎこちなくなったりするものです。しかし、朝きれいな空気を吸うと心がりフレッシュされ、身も自然にリラックスされて、身心ともに気持ちよく爽やかになるものです。
身心の状態は、常に同じではありません。身体は生老病死というように、いくら頑張ったところで、老いもすれば病気になったりもします。心もコロコロとよく変わります。特に、心は「応無所住而生其心」というように、つかみ所が無く自分の思い通りにならないものですが、法界に充満し其の心を生ずるものです。
ところが、呼吸はそれを調えることによって、幾らかでも調えることが出来るものです。特に、「調息」の息という字は心より発して鼻より出づる意と言うことですから、呼吸を調えることは心を調えることになります。
坐禅を説いた『天台小止観』に、「風、喘、気、息」という言葉があります。それはどんな状態か、私の独断と偏見によれば、「風」は春一番の突風の如く走った後とか、ワッと驚かされてビックリしたときなどの呼吸であって、肩や胸でする浅く速い乱れた呼吸です。赤ん坊が虫を起こしたり、犬が威勢よくほえたり、鼻息の荒い状態の人の呼吸は自然の呼吸ではないものです。逆に、赤ん坊がスヤスヤと寝ているとき、犬が日向でのんびりと寝そべっているときなどは、深い腹式呼吸を自然にしています。次に、「喘」は、喘息のように、息をせわしく喘ぐような苦しい息づかいをする状態です。
第三の「気」は空気といったときの気で、空気を吐いたり吸ったりする普通にしている呼吸です。広い意昧にとれば、乱れた状態から調った状態までの広がりをもっています。気は気分屋ですから、気に入ったり気にくわなかったり、気乗りしたり気乗りしなかったりと気の持ち方次第によって、いろいろな働きをするものです。そこで、気分を転回してと言うか、気を持ち直し気を引き締めて、その気になって、気を本来の方向に働かせ、気を間違った方向に働かせない様にすること。とにかく生きている限り呼吸と付き合っているわけですから、呼吸を調えて息の合った付き合いをすることが大切です。
そこで、最後に「息」ですが、息の状態を「綿々として、存するがごとく亡きがごとく」ということです。道元禅師は「鼻息微かに通じ」と言っています。吐く息、吸う息に親しみ調った呼吸をすることです。ではどの様にすればよいのか、道元禅師は「息は丹田に至り、また丹田より出づ。出入異なりといえども、ともに丹田によって入出す」と、丹田呼吸をすることだと語っています。坐禅において、丹田呼吸がスムーズに行われるには「衲子の坐禅は、ただ端身正坐を先とすべし。しかして後、調息に心を致す」と言っているように、壁立万扨に端身正坐して、呼吸が心から離れないようにすることです。丹田は臍下丹田で、端身正坐して脳天より背骨にそって重心の落下点の所が目安です。また気海丹田で、気が充満し自律神経が集まっている所と言われています。
呼気は行使し吸気は養うといわれますが、我々は吐く息吸う息によって、「息を吹き返し(生)」、「息を引き取って(死)」おり、一呼吸一呼吸に生死生滅を繰り返しています。それが断絶することなく時時につながっていきます。ちょうど、アナログ時計とデジタル時計との両方の働きを兼ね備えているからこそ、我々を含めて万物は生成発展もすれば逆に衰退もすると言えるのです。 呼吸に親しみ息を調えることは、効率のよい呼吸が出来ることです。特に、吐く息をゆっくりスムーズにすることは、吸った息を完全燃焼させることになります。息抜きを上手にすることは、息が詰まるということもなくストレスが解消されていくことです。
世間では、お経を読むと呼吸も調い、心も落ち着くといいます。お経の読誦は、中音平声と言うように、無理のない音声で水面のように平らに読み、息の切れたところで息継ぎをすることです。したがって、点(、)や丸(。)を無視して読誦するのです。そのことが、結果的に調息にかない、心を落ち着かせることになると思われます。
愛知学院大学には、この四月に「心身科学部」が誕生します。行学一体を掲げ、身心学道を説く本学に、出来るべくして誕生したと言うべきであり、今後の充実発展が期待されます。
(短大部教授)