「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とは『平家物語』の冒頭の一節ですが、日本人は「無常」ということばに、特別な思い入れがあるようです。
うつろいゆく我が身の運命(さだめ)を想えば、憂いに心が沈みます。この世の無常を嘆き、寂寥感に悩む「私」の存在は、なんとはかなく美しいことかと、自分の姿に陶酔して心の世界に耽溺したのです。
現実のはかなさを逃れるために仏の世界にあこがれて、華麗な仏の世界を想像して、宇治の平等院のような造形に表わしました。その美意識から作り出された仏の姿や寺院建築・装飾は、我が国の仏教美術の精華といえます。
日本人は「無常」という仏教の思想を基盤として、独自の精神世界を創造したといってもよいでしよう。
しかし、「この世のすべては移り変わりゆき、永遠不変な存在はどこにもない」という無常の語を通して仏教がいいたかったことは、ただ単に速やかなる時の流れを嘆息することではありません。常ならざるのがこの世の真実であるならば、我が身を含めてあらゆるものへの不変の願いは無意昧であり、常住に執着することは煩悩にほかなりません。留まらぬものへの執着は苦しみを生み出すというこの理(ことわり)が解らないようであれば、この世は苦しみの世界となってしまいます。安楽の世界は目の前に現れているのに、真実を理解できないために自分で自分を苦しめているのです。苦悩は外より 来るのではありません。自らの内にあるのです。
うつろいゆく我が身であればこそ、今この時は貴重であり、与えられた時間をいかに生きるかで、真の自己を確立できるかどうかが決まります。
仏教の開祖であるブッダは、80年の生涯をクシナガラの地に終えられました。自らの死期をさとった時、ひとめ生まれ故郷を見て死にたいと思っておられたのかもしれません。弱った体をサーラ樹の間に横たえられたブッダはそこで入滅されました。菩提樹下の正覚にはじまり、その後人々を教え導いたブッダが、年老いて一人の老人としてその尊い一生を全うされた姿に、なんと我々は力づけられることでしょう。年老いることは悲しむことでもなく、苦しむことでもありません。人として誰でもが歩む道なのです。
全ての存在は変わりゆくことを説き続けたブッダは、自らの入滅をもって最期の教えを示されたといえます。その死には奇跡も不思議もありません。無自性空(固定した不変な実体はどこにも存在せず、常に移り変わりゆくのが真の姿)であることを入滅でもって示されたのです。ですから、ブッダの入滅は単に開祖の死を意味するのではなく、ブッダが生前説かれた教えの全てが真実であることを明らかにしているのです。仏教の完成はブッダの入滅によると言っても過言ではありません。ブッダも我々と同じく無常な存在だったのです。
「なぜ仏教を信じることができるのか」と問われれば、筆者は「ブッダが入滅されたから」と応えます。ブッダが亡くなった事実が、この世界の真実の姿を明らかに示しているからです。
考えてみて下さい。どれほど多くの優れた教えが遺されようと、全ては移り変わりゆく、それが真実であると説いたブッダが、もし覚者であることを理由に、例外として不変の存在であったなら、その教えは虚ろです。
ブッダのことばに嘘はないことが、サーラ樹の元での入滅によって明らかになります。私たちに与えられた時間を最後まで生ききることが、仏としての命を生きることなのです。この世界とは違うどこかに仏の世界を求め、修行によって私が仏に変身すると考えるのは正しくありません。
全てが移り変わりゆくことを、自分のこととして解れば、仏の世界は今のこの世界のことであり、仏とは私自身のことだと解るはずです。
(文学部教授)