現代の世相をテレビで見るにつけ、時たま何が善で、何が悪か分からなくなります。イラクの問題、日本のいじめの問題など、「これが悪で、これが善だ」と単純に割り切れれば良いのですが、詳しく調べれば調べるほど事の正邪は分からなくなり、頭が混乱してきます。テレビの水戸黄門みたいに善玉、悪玉がはっきりすればどれだけすっきりとするでしょう。いじめの問題でも、いじめる側が悪、いじめられる側は善と単純に決めてしまうことは出来ません。いじめは加害者と被害者とがちょっとした状況の変化で入れ替わってしまうとても繊細な問題です。ですから、双方の理由を聞いて、それから慎重に対処しないと事は解決しないように思えます。つまり善と悪とは「ある人たちには善であっても、別の人たちからは悪となる」ような、相対的なものであるようです。
日本で初めてこの善悪を扱ったものに『日本霊異記』(にほんりょういき)があります。これは正式には『日本国現報善悪霊異記』と言い、日本国で、善と悪との報いを当事者が生きている間に受ける不思議な様子を記した物語です。この書物でいう善悪とは、仏・法・僧という三宝にとって良いことは善、それに敵対する行いは悪と定義づけられています。つまり仏教という宗教からみた善と悪なのです。
この善悪の語は、古くは仏典の1つ『法句経』述仏品に、七仏通戒偈として登場します。すなわち「諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう) 自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」です。対応するパーリ文の『ダンマパダ』では、「あらゆる悪を為さず、善を保ち、自分の心を清めること、これが諸仏の教えである」となります。「莫作」を「作(な)すこと莫(なか)れ」と命令文として読むか、あるいはパーリ文のように「作(な)すこと莫(な)く」と読むかの問題はさておき、諸仏の教えの精髄がこの七仏通戒偈にあることは確かです。
実はこの七仏通戒偈、聖徳太子の遺言として『日本書紀』に記されています。太子の長子、山背大兄王(やましろのおおえのおう)が境部臣摩理勢(さかいべのおみまりせ)に対して、天下の騒乱を避ける為にも、耐えがたきを耐えて蘇我大臣蝦夷(そがのおおおみえみし)に従うように諭す場面で、この太子の遺言が登場します。山背大兄王は、天下騒乱は悪、平和が善と考えたようです。彼は仏の教えを現実の政治に適用したわけですが、このことが正しかったかどうかは意見の分かれるところでしょう。というのもこの事件の後、童歌がはやり、そこでは頼った摩理勢を庇(かば)わなかった山背大兄王を諷刺しています。ただ彼はあくまで仏教の人であり、平和主義者でした。彼は後に蘇我入鹿(そがのいるか)に攻め込まれ自決を余儀なくされたとき、「この身を入鹿に与える」捨身の行を実践しました。捨施・捨命とともに、これは究極の布施であり、法隆寺にある玉虫厨子の捨身飼虎(しゃしんしこ)の図をほうふつとさせます。
道元禅師も『正法眼蔵』「諸悪莫作」の巻に、この七仏通戒偈を扱っておられます。ここで特に興味深いのは、唐の白居易と道林禅師とのやりとりです。仏法の大意は何かという白居易の問いに対して、道林は「諸悪莫作 衆善奉行」と答えます。白居易は「そんなことは3歳の童子でも知っている」と馬鹿にしますが、道林は「そうはいっても80歳の老人でもそれは実践出来ない」と言ったところ、白居易は深く頭を下げて去ったそうです。
確かにこの偈は3歳の童子さえも口ずさむような簡単な内容ですが、過去の仏たちが綿々と伝えてきた不滅の真理でもあります。もちろん何が悪であるのか、それは場合によってまちまちであるから、これを詮索するよりも「諸悪莫作」という言葉を仏の教えとして修行することに意義を見つけるべきと道元禅師は述べています。つまり禅師は修行者の立場から、世俗の善悪を超越した境地を見出されたと言えるでしょう。
今に生きる私たちは、実践し難いこの仏の教えを深く心に刻み、身近なことから悪を慎み、善を行って、自身の心を清めることを励行しなければなりません。もちろん、同時に真の善と見せかけの善、真の悪と方便の悪を見極める力を持つことも必要でしょう。
(文学部教授)