アメリカのアップル社の創業者スティーヴ・ジョブズ氏が平成23年10月5日、享年56歳で亡くなりました。ご冥福を祈ります。皆様ご承知のように、ジョブズ氏は若き頃、アメリカ、カリフォルニア州の曹洞宗の禅センターで日本から布教に来ていた故知野(ちの)(乙川)弘文老師と出会い、知野師を厚く信頼していました。このことはインターネットをはじめ数々のジョブズ氏に関する書物で紹介されております。
曹洞宗のホームページによりますと、知野(乙川)弘文老師は1967年にアメリカに渡り、2002年に遷化されるまでタサハラ禅マウンテンセンター、ロスアルトスの禅センターなどで曹洞禅の布教に尽力されました。知野老師の同僚であった前北アメリカ国際布教総監で国際布教師の秋葉玄吾老師は知野老師のあたたかいお人柄について触れ、ジョブズ氏の不遇の時代を支えたのも禅の教えであったのでは、とお話しされました。
知野老師はアメリカで布教活動をしていた鈴木俊隆老師の招きでアメリカに渡っています。スティーブ・ジョブズ氏は「仏教には「初心」という言葉があるそうです。初心をもっているのは、すばらしいこと」と述べています。
鈴木俊隆老師は“Zen Mind, Beginner’s Mind”という本を1970年に出版しています。これを日本語に訳しますと『禅の心、初心者の心』となるでしょうか。鈴木師はこの本の中で“The goal of practice is always to keep our beginner’s mind.”(21頁)「修行の目的は常に私達が初心の心を保つことです」と述べています。また同じ頁で“ In the beginner ’s mind there are many possibilities, but in the expert ’s mind there are few.”「初心の心では多くの可能性があります。しかし権威きどりでは可能性がほとんどなくなります。」と書いています。
この「初心」という言葉は道元禅師の著書『正法眼蔵』の中に散見されます。例えば坐禅をして努力することは、初心者達の学ぶことであって、諸仏の行いではない、と考える人達に対して、道元禅師は「坐禅箴(ざぜんしん)」の巻の中で「どうして初心者と、初心者でないものとの区別があるであろうか。何を初心者とするのであろうか。」(中村宗一訳)と述べておられます。また「辧道話(べんどうわ)」の巻では「仏法では修行と悟りとは一つのものである。今の修行も悟りの上の修行であるから、初心の坐禅辧道が、悟りの全体である。」(中村訳)とあります。
更に「光明」の巻では「この文公は、在家の人であるとはいえ、すぐれた修行者の心がけを持っており、天をひっくりかえし地を動かすほどの偉人というべきである。このように学ぶことが、仏道を学ぶことのはじめである。このように学ばないのは、仏道を学ばないことである。」(中村訳)と教えられています。
そして「谿声山色(けいせいさんしき)」の巻では「受けがたい人の身を受け、また会いがたい仏道に会いながら、全く無関心であり、まして、仏道を求める心を起こすことなど、まれなことである。初心忘るべからずである。」(中村訳)と懇切丁寧に説いておられます。
ジョブズ氏のスタンフォード大学での講演は有名です。そのスピーチの中で“Stay hungry, stay foolish”と結んでいます。英語辞典によると、‘hungry’には“poor”(貧しい)という意味もあります。また‘foolish’は“unwise”(愚かな)という意味もみられます。まとめてみますと「貧であれ、愚かであれ」となります。これらの言葉「貧」も「愚か」も一般的には否定的に使用されます。
しかしこれらの否定的な意味合いを持つ言葉は禅ではしばしば違ったふうになります。道元禅師は『正法眼蔵』の「八大人覚(はちだいにんがく)」の巻で次のように述べておられます。「求めるのにその最少限度を持って満足すること。また、すでに与えられたどのようなものについても満足することを知足という。知足の人は住むに家なく、地上に眠ってもなお安楽であり、不知足の人はたとえ金殿玉楼に住んでも、なお満足しない。だから、不知足の人は富んでいても貧しく、知足の人は貧しくても富んでいるのである。」(中村訳)
小生が幼少の時から法要等で読経していた『宝鏡三昧』というお経があります。曹洞宗では重要な経典の一つです。その終わりは「陰徳を積む無所得の行いはあたかも愚者の無我なる如く魯人の無為なるが如くただよく相続するのが最も大切なことです」となっています。(保坂玉泉解説抜粋)以上みてきましたようにスティーブ・ジョブズ氏の言葉の中には禅的な思想がみられます。
愛知学院大学はこの道元禅師の教えに基づいて国内外で活躍する人間の育成・研究をめざしています。しかしこの10年あまり恒例である本山等での学生の参禅会の参加者が激減しているようですが、それに伴って学生の活力等が失われているように感じます。
今一度教職員の私達が本学の建学の仏教精神を見直していけば、必ずや愛知学院大学は世界に誇る大学になるはずです。道元禅師の教えに基づく大学は愛知学院を含めて世界に数校しかないのですから。
(教養部教授)