愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅のこぼれ話  平成29年度

志いまだ老いず(著・川口高風)

私が50歳になる少し前、江戸末期に尾張で活躍した高僧の大薩祖梁(だいさつそりょう)の足跡を研究した。
大薩は安政四年(1857)50歳を迎えるにあたり、歴住地に自分の墓塔を建立した。
当時は今日と異なり、人間の寿命は短く、60歳の還暦を迎える人はそう多くいなかったようである。
そのため、50歳になると「五十沙門祈祷」といって、『大般若経』を転読し法臘(ほうろう)の延長を祈念祈祷する行事があった。
50歳を迎えた大薩は、自らの法臘延長を願うとともに寿塔を建立したのである。

大薩のエピソードを知った私は50歳を迎える時、大薩にあやかり自分の墓塔を建立しようと思い師僧に相談した。
ところが、師僧は師僧自身の墓塔もないのに、どうして弟子が先に建立するのかといい、建てることを反対された。

60歳の還暦を迎えた時、3人の先人の言葉を思い出した。
孔子は『論語』に「吾れ十有五にして学に志す。30にして立つ。40にして惑わず。50にして天命を知る。
60にして耳順う。70にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰こえず」といって自分の一生を振り返り、60歳にして初めて人のいうことを素直に聞ける寛容性が身についたという。
仙豪`梵(せんがいぎぼん)(1750‐1837)は、「老人六歌仙」で「しわがよる、ほくろができる、腰がまがる、頭ははげる、ひげ白くなる、手はふるう、足はよろめく、くどくなる、聞きたがる、同じ話のくりかえし、達者自慢」などと老人の特徴をいっている。
室町時代の能役者の世阿弥は自らの芸能論をまとめた『花鏡』で、「是非の初心を忘るべからず。
時々の初心を忘るべからず。老後の初心を忘るべからず」と述べている。
私は60歳の初心を忘れずに一日一日を初心で生き、精進に精進して向上心を持って生きていこうと考えた。
それが世阿弥の究めた奥義であった。

65歳を迎える頃、一通の書類が役所より届いた。
あけてみると年金の請求手続きの案内書である。それには「65歳になると老齢基礎年金を受け取る権利が発生します。
……そのため手続きを行って下さい」とある。これを見て私は愕然とした。しかし、その一ヶ月後、今度は市役所から敬老手帳と敬老パス交付の申請書が届いた。
両親の敬老手帳や敬老パスは見たことがあったが、自分の名前の書いてある手帳が送られてきたので、再び愕然とした。さらに、駄目押しの如く介護保険の第一号被保険者となる通知がきた。
これらは自分が確実に65歳を迎えたことの知らせである。まさに高齢者の仲間に入ったのであった。

平成29年9月には、大学の理事長より「定年のお知らせ」がきた。
来年の3月31日をもって定年であることを改めて通知してきたのである。
もちろん私は70歳を迎え定年であることを承知しており、定年後は今までの自分の研究の総まとめをするなど予定が一杯である。
しかし、いざ定年の通知がくると感無量であった。
住職と教員の二足の草鞋をはいて、定年まで大病せずに健康で大過なく勤めることのできた安堵感もあった一方、寂しさもひとしおである。
大学からは勤続40年の永年勤続表彰を受けたが、夢の如く幻の如く過ぎた40年であった。

以前、元花園大学長の西村恵信先生が77歳の時、大学を定年で退職されて以来の随想をまとめた『70を過ぎてわかったこと』(禅文化研究所 刊)を送っていただいた。
公職から解放されて、ようやく自分の生活を取り戻した方々に共感を求めたものであった。70歳を古稀という。
平均寿命の短い昔は古来稀に迎える年齢であった。孔子は『論語』で、70歳は毎日を自分のしたいようにして生きることであると教えている。
しかし、それが人の迷惑になってはいけないのである。

107歳の長寿をまっとうした京都・清水寺の大西良慶(おおにしりょうけい)長老や104歳で逝かれた女流画家小倉遊亀(おぐらゆき)画伯は、70代が一番おもしろかった、良かったと述懐している。
すなわち人生の一番充実した黄金時代は70代という。しかし、100歳を越えるほどの長寿を迎える人はそう多くない。
そのため70代が黄金時代と思う人も多くはないかもしれない。

西村先生は自分の寿命を90歳と決められているそうである。あとわずか何年しかないと自分にいい聞かせている。
これを聞くと、たいていの人は明日も知れぬ身なのに何をまたといって笑う。
しかし、そういう人こそ自分が明日死ぬかもしれないとは思っていないのではないか。先生は自分の老いを嘆いて最期の日を待つより、残りの人生で一番若い今日を目一杯楽しむに及ぶものはないといわれる。

私はなるほどと思った。
死に向かって生きている日々を、老いるという発想よりも残りの人生に向かって一番若い今日であるから、何でもできるという反対の発想で日々をみている。
西村先生のような発想ならば、まさに日々精進の一日一日となろう。私の定年は男性の健康寿命である71歳の1年前である。
しかし、私の人生はこれからがラストスパートである。そのため今まで以上に一層の精進をせねばならない。
日々精進していれば、たとえその途中で倒れても決して悔いはないであろう。節目毎に自らを励ましてきた私の志は、いまだ老いずである。

(教養部教授)

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