愛知学院大学 禅研究所 禅について

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禅のこぼれ話  令和2年度

禅宗史研究に想う(著・佐藤悦成)

世界中でコロナ感染症の猛威が吹き荒れ、一向に収束の気配さえも見えません。皆さんの健康と安寧を心より願っています。

年初(令和3年1月12日)、京都大学の湊長博(みなとながひろ)総長が、「ウイルスに言い訳は通用しません」と述べ、良識と自覚を求めたメッセージは、端的な言葉ゆえに現在の日本の危機的状況を強く懸念し、学生諸君の行動に警鐘を鳴らしました。昨年、ドイツのメルケル首相が発信したメッセージ映像と同様に筆者は強く共感しましたが皆さんはどのように受け取られたでしょう。

本学においても、教職員の方々はそれぞれの職責を果たすために長期にわたって悪戦苦闘しており、学生諸君の大学生活が健康で安定した日常となるよう、筆者も愛知学院チームの一員として協力を惜しみません。ところで学長退任後、禅宗史について様々に振り返った一端を以下に記しますが、禅に興味をお持ちの方々のご参考になれば幸甚に存じます。

禅宗史研究は、高僧伝(こうそうでん)等に収載された禅僧の行実(ぎょうじつ)に依拠した従来の鳥瞰的研究手法から大きく様変わりしています。その一因は近年の地方史再編纂の動きにあります。さらに、隣接する歴史学・考古学・民俗学や文化人類学などの研究成果を積極的に吸収し、さらには政治史的、経済史的視点を導入した新しい研究方法を試みるなど学際的進展が図られています。

まず、禅宗と支配層に関する研究ですが、この分野は中央の公家・武家の禅宗保護や地方土着勢力の禅宗受容の実態などを研究対象としています。単に檀越(だんおつ)と禅僧との関係を個別に論じるのではなく、当時の地域的政治情勢に対応する在地領主層の動向なども視野に入れながら、在地勢力の禅宗受容の実態を検討しようとする特徴があります。室町幕府の財政と五山禅林(ござんぜんりん)との関わりについての究明が進んだのはその一例でしょう。

次に、対外関係と禅宗展開を関連づけて、その実態解明を試みた分野があり、日中・日朝交渉において禅僧が果たした役割を解明する研究が進められてきました。

さらに、中世の禅宗の成立を新たな視点から論じようとする研究もあります。これまで、中世禅宗史を論ずる場合には、宗祖(しゅうそ)に位置づけられる栄西・道元、鎌倉期来朝僧などによる臨済宗・曹洞宗の伝播から論じ始めることが一般的でした。そこに中世禅宗の成立を、上古から中古仏教を経由して連続的に捉えようとする研究も進められています。

中世禅宗の研究は、鷲尾順敬(わしおじゅんきょう)氏、辻善之助(つじぜんのすけ)氏、玉村竹二氏らの先駆的研究があります。特に玉村氏は、五山叢林(そうりん)の塔頭(たっちゅう)、公帖(こうじょう)などの禅宗内部の諸制度や、北条氏.足利氏ら為政者の禅宗信仰に検討を加え、葉貫磨哉(はぬきまさい)氏には鎌倉北条氏や足利氏の禅宗受容についての精力的研究があります。さらに、黒田俊雄(くろだとしお)氏は中世史全体に影響をもたらした「権門体制(けんもんたいせい)」論から派生させた「顕密体制(けんみつたいせい)」論を主張しました。しかし、仏教は政治権力に認知されて成立しているのではありませんから、社会史・政治史の立場においては有効な手法ですが、仏教史の研究方法としては疑問符がつきます。

この主張に対して松尾剛次(まつおけんじ)氏は、「国家的授戒制」に基づく「官僧(かんそう)」・「遁世僧(とんせそう)」の概念を提示して、鎌倉末期以後中世を代表する寺社勢力は「遁世僧」(鎌倉新仏教勢力)であると結論づけました。しかし、道元禅師の如く出世と遁世は自ずから異なると主張し、政治権力に親近せず、また遁世を批判しつつ自らの宗教的立脚点を確保し、その門流は宗勢を全国に拡大した曹洞宗の例もあることを忘れるべきではないでしょう。

禅宗の地方発展を論ずる場合、「叢林」「林下(りんか)」という概念が使用されます。これは、玉村竹二氏「日本中世禅林に於ける臨済・曹洞宗の異同 ─「林下」の問題について─」に始まります。中世禅宗を分析する概念としては、近世以降に強化される臨済宗・曹洞宗という宗派的な分類よりも、中央と地方、すなわち「叢林」「林下」という分類の方がより適切とする考究です。

その後、禅宗展開の研究は各地域を考察対象として進められましたが、広瀬良弘(ひろせりょうこう)氏には『禅宗地方展開史の研究』があり、竹貫元勝(たけぬきげんしょう)氏は『日本禅宗史研究』で、大徳寺・妙心寺の両教団の成立・展開を社会経済史的の分野より解明し、教団経営の実態を解明しました。

対外交流に関する研究には、本宮泰彦氏『日華文化交流史』があり、古代より近世までの日中両国を往来した禅僧をほぼ網羅し、玉村竹二氏は「日本禅僧の渡海参学関係を表示する宗派図」で、日中間を往来した禅僧の関係をまとめました。鎌倉末期の禅・律僧による大陸貿易については、「新安沖沈船(しんあんおきちんせん)」の回収遺物により京都東福寺・同寺末博多承天寺(じょうてんじ)の大陸貿易が注目されました。また曹洞宗禅僧の日中往来については、佐藤秀孝(さとうしゅうこう)氏「曹洞禅者の日中往来について」、中尾良信(なかおりょうしん)氏「洞門(とうもん)の渡海僧」の論考があります。

既に多様な方面からの禅宗史へのアプローチは新たな知見を生み出しています。

筆者の願いは、禅の研究を志す多くの若い研究者が切磋琢磨する時代が再び到来することです。若手研究者の皆さんの奮起を期待しています。

(文学部教授)

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