本邦仏教典籍には「本草書(ほんぞうしょ)」が引用されていることがある。小稿ではその一端を紹介させていただきたい。「本草」とは健康維持をも含む広義の薬用動植鉱物(本草個体・生薬)を指し、「漢方薬」の原料となるものである。「本草書」は、これらの様々な本草個体を集めて分類し、薬学的解説を加えた書であり、中国で数多く編纂され、本邦にも多数もたらされている。中国主流本草書の編纂過程を概観すれば次のようである(岡西為人(おかにしためと)『本草概説』による)。その最初は、陶弘景(とうこうけい)が『~農本草(しんのうほんぞう)』と『名医別録(めいいべつろく)』を合体させて編纂(へんさん)した『~農本草経(きょう)』(六朝期)である。その内容は以後の本草書において重視され、本文とされる。そして、この『~農本草経』以後の本草書は、その本文に次々に注を付加したり、新たな本草個体及びその注を加えたりすることによって編纂されていく。例えば、この『~農本草経』に陶弘景自身が注を加えてできあがったのが『~農本草経集注(しっちゅう)(『集注本草(しっちゅうほんぞう)』)』(六朝期)であり、さらにその注に唐の蘇敬(そけい)が加注し、新たな本草個体及びその注を付加してできたのが『新修(しんしゅう)本草』(唐659年)である。以下、『開宝(かいほう)本草』(宋 劉翰(りゅうかん) 974年)→『嘉祐(かゆう)本草』(宋 掌禹錫(しょううしゃく) 1061年)→『図経(ずきょう)本草』(宋 蘇頌(そしょう) 1062年)→『証類(しょうるい)本草』(宋 唐慎微(とうしんび) 1100年代)→『本草衍義(えんぎ)』(宋 寇宗奭(こうそうせき) 1116年)→『重修政和経史証類備用(じゅうしゅうせいわけいししょうるいびよう)本草[晦明軒(かいめいけん)本]』(宋 張存恵(ちょうそんけい) 1249年)→『本草綱目(こうもく)』(明 李時珍(りじちん) 1593年)、という順序で次々に新たな主流本草書が編纂されていく。
本草書は、このように前代の本草書の注に次々と新たな注を付加して編纂されるため、後の時代の本草書には、それ以前に編纂された本草書の注の累積がそのまま残されていることになる。また、収録されている本草個体の種類・分類方法・配置順序が本草書によって変更されている場合もある。従って、ある典籍に本草書が引用されている場合、その本草書名が明記されていなくても、その引用された注や収録されている本草個体の種類・分類方法・配置順序等を調べれば、少なくともどの本草書より以後の本草書から引用されたのかがわかることになる。たとえば、『新修本草』においては、『神農本草経集注』の注に「謹按」という頭語をおいて新たな注を付加しているため、ある典籍が引用した本草書の注にその注が引用されていれば、少なくともその注は『新修本草』以後の本草書から引用されたことがわかる、ということである。
本草書は薬学の書であるから「本草個体の分類」「気味」「薬効」「産地・採集時期・乾燥法」などさまざまな薬学的情報が盛り込まれている。「本草個体の分類」においては「上品」「中品」「下品」に分類することが多く、それぞれ「不老延年薬」「病を防ぎ虚弱を補う薬」「病を治す薬」に相当しているが、「病を治す薬」という対症療法的な薬よりも「不老延年薬」という、そもそも病気にかからず健康で長生きする薬の方をよりよいもの(上品)としているのは興味深い。
こうした本草書は、日本にも早くから伝わり、各種法令等によって、学ぶべき本草書が定められたり、『医心方(いしんほう)』などの医書や『新撰字鏡(しんせんじきょう)』『本草和名(わみょう)』『和名類聚抄(わみょうるいじゅ(う)しょう)』などの辞書類などに数多く引用されたりしたのであるが、実は、本邦仏教典籍にもその引用例がある。
筆者の調査によれば、『大正新脩大蔵経(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)』所収の本邦仏教典籍のうち、様々な本草書から本草個体及びその注を引用しているものが少なくとも13典籍あり、その引用例は70例であった。これらの典籍の成立年代や宗派は様々であるから、本邦仏教典籍と本草書は幅広い関係があると考えられる。70例という数はそれほど多くはないが、13典籍の一つ『浄土三部経音義集(じょうどさんぶきょうおんぎしゅう)』では最多の24例を引用しており、その積極性が看取される。これらの引用例を概観すると次のような傾向がある。①14世紀以前の本邦仏教典籍では薬効を引用することがあったが、それ以後の仏教典籍では引用されなくなった。②引用された本草個体名は、「薬物学的語彙」としてではなく「博物学的語彙」として扱われていることが多い。③引用された本草個体名のジャンルは、貴金属宝石類及び外国産を多く含む食物に偏っており、「稀少なもの・珍しいもの」が多数を占めている。
また、前述した本草書構造上の特徴に基づき、いつ頃編纂された本草書から引用しているかを調べてみると、これらの本邦仏教典籍においては、古い時代に編纂された本草書よりも、宋代以降の、編纂時期が比較的新しい本草書を引用していることが多く、直近の時代の本草書を利用して、本草個体の知識を得ようとする姿勢が見られた。ただ、その一方で、引用する本草書名を誤認したり、本草個体の漢名と和名の同定を誤ったりする例も散見されるので、本草書に関する知識が必ずしも十分なものではなかったことも窺われる。
以上、本草書の特徴ならびに本邦仏教典籍にける本草書の引用について、その一端を述べさせていただいた。仏教の門外漢による些末な紹介であり、誤りや不十分な点も多々あることと思われる。なにとぞご教導賜りたく、心よりお願い申し上げる次第である。
(教養部教授)