中国の古い伝説につぎのような話があります。昔、春秋の時代に楚の国に葉公(しょうこう)子高という王がいました。この王は、ことのほか竜を愛好し、竜の彫刻や絵をたくさん収集して愛玩していました。またおおくの人を集め、そのコレクションを見せ、ひとり悦にいっていました。天界の竜がこの噂を聞いて、それほどまでにこの竜を好むというのならば、ひとつ本物の姿を拝ませてやろうと、天界から降りてきて葉公の邸を訪れます。王の居室に近づいて大きい尾を振り廻して部屋の窓を烈しく叩きつけて内を覗き込みました。葉公は、時ならぬ物音に驚いて目を窓に向けると、全身逆立った鱗に蔽われた竜がもの凄い形相で自分を睨んでいます。仰天した王はその場で失神してしまいます。王が日頃愛好していたのは本物の竜ではなくて偽物の竜であったわけです。
道元禅師は、『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』という坐禅の指南書の中で、「冀(こいねが)わくは、それ参学の高流(こうる)(求道の志高き人よ)、久しく模象に習って真竜を怪しむことなかれ」といっております。この。葉公愛竜〃の譬えは、もともと『後漢書』や『荘子』などにもでています。本物の竜を見ないで偽の竜ばかりを見る愚かさを戒めた教訓です。
また、“模象”は“彫竜”と同義であり、『涅槃経(ねはんぎょう)』や『六度集経(ろくどじっきょう)』に説かれています。模して作り出された象、彫り物の竜のことです。要するに、本物でないイミテーションをいいます。ひとは、ともすれば偽物を本物と思い込み、本物に出会うとかえってそれを径しみ疑いがちです。
真竜を怪しむことなく直視するには、強靭な勇気が必要です。ひとは自由であること常に求めます。しかし、真に自由であるためには、この真竜を見据える勇気がなければ実現しません。道元禅師のことばはそのことをいっています。仏法の真実に触れることをせず、いたずらに経典の文字づらに振り廻されていることの弊を戒めているのです。
つぎに、ずいぶん昔のことになりますが、わたしの学生あがりの頃のことです。いまもずっと刊行されている『週間朝日』に、「問答有用」と題する連続対談がありました。当時の週刊誌は現代とちがってかなり硬派の情報源としての価値を保っていたように記憶しています。わたしもその読者のひとりでした。その対談の聞き手役は、恐らくいまのタレントのはしりとなる徳川夢声氏でした。この方は、戦前の無声映画時代の活弁(かつべん)(活動弁士)として知られた人です。ある対談で、当時、奈良薬師寺管長職にあった橋本凝胤(ぎょいん)師が登場しました。師は法相唯識(ほっそうゆいしき)という仏教教学の権威でもある高徳の師です。対談の進展のなかで、夢声氏が「いまどき地球が太陽の周りを廻ることは小学生でも知っている常識ですからね」といいますと、即座に、橋本師が、「それは違う。地球が太陽の周りを廻るのではなく、太陽が地球の周りを廻るのだ。」といって頑として譲りません。結局、対談は平行線のまま終ってしまいました。
この対談は当時かなり話題になりましたから記憶しておられる方もあると思います。ある評者は、師の天動説は明快な三段論法で仏説を擁護したまでであるといっています。つまり、天動説はお経の中に書かれている。お経は釈尊が語ったことばの集録である。釈尊は間違ったことは言っていない。だから天動説は真理である。高徳の師のことですから仏説に誤謬は存在しないという信念に生きた方であったでしょう。しかしこの評はいささか詭弁(きべん)じみて適切でほありません。橋本師のいいたかったかことは、科学的あるいは常識的な真理だけに依りかかって生きる現代人のこころの貧しさを指摘したかったのだと受けとるべきではないでしょうか。さきにいいましたように橋本師は唯識の学を究めた学僧です。いくら奈良の僧院の中で日夜、唯識学の研鑚と修行三昧の日々を送っていたとしても、地動説を科学的真理として納得しえないほど頑迷であったとは思えません。橋本師は、唯識の説く“三界唯心”という「世界はただこころからなる」という教えを現代への警鐘としてここに提示したのだとわたしは考えます。
ところで、わたしたちを取り巻く環境はこの半世紀のあいだに大きく変化しました。戦後、生きるてだてを失った当時は、貧困と失意のなかから、ひたすら糊口をしのぐことに生き甲斐を求めて生きてきました。そこには、戦勝国アメリカの繁栄を目指して豊かな生活を手中に収めようという確かな目標がありました。勤労の意慾旺盛な日本人は着実にこれを達成していきました。しかし現在では、大きく様変わりしました。地球的規模では、戦うず禍と緊張のはざまにあって依然として貧困に喘ぐ国ぐにがあります。しかしながら、少なくともわが国に関していいますと、技術改革と産業規模の拡大によつて豊かな生活を享受する社会にわたしたちはいま生きております。このこと自体は喜ぶべきことだといえます。しかし他方では、わが国のさまざまな局面に憂慮すべき危機的状況が顕在化していることを認めざるをえません。産業構造・経済機構の肥大化、金融の破綻、管理社会の歪みなどをはじめ、政治倫理の失墜、教育の荒廃、人倫の低落など、ひと口でいって、“こころの空洞化”の傾向はいよいよ深刻さを加えてきつつあります。まさに百年前のヨーロッパを包んだ。“世紀末の憂愁”に似通った状況にあるということができます。
このような状況を象徴的に示すのが、昨今世情を震駭させた「オウム真理教」の事件や最近頻発する学童・生徒の凶悪犯罪などの教育の荒廃であります。これらが政財界の汚職や金融破綻などと異なる点は、日本の病める社会を象徴する病理現象の様相を呈していることです。これらは、教育の面において、過去に前例をみない非道にして残忍をきわめた犯罪であることはいうまでもありません。その原因について識者はさまざまな見解をだしています。教団に入信した若者たちに高度の教育歴を有するもの、理系のエリートと目される学生たちが含まれていることから、教育における科学偏重の歪みに根源があるとか、わが国の教育における倫理の欠如、あるいは宗教抜きの教育の欠陥の結果であるというような意見がだされています。いずれも相応の理由をもつことは確かでしょうが、そのことのために教育を制限したり否定することで解決はいたしません。また、教育に倫理が全く排除されていたともいいきれません。さらに短絡的に教育に宗教を継ぎ木するだけでことがすむ問題でもありません。重要なことは、この現実の認識のしかたに解決の緒(いとぐち)を見出さなければならないでしょう。
わが国は過去に2度の教育上の転機を経験しています。明治維新の政教分離政策と第二次大戦後の新憲法にもとづく信教の自由の原則です。いずれも歴史的必然性を有するわけですが、結果として“宗教なき教育”が定着しました。 もちろん、明治以来ヨーロッパ流の哲学・倫理学は積極的に移入され文化の発展に寄与しましたが、宗教と遊離したイデオロギーの域を越えることはありませんでした。その点、西欧では事情が異なりました。宗教と倫理は密にかかわり教育の実践の場にところを占めていたといえます。
日本では、こと宗教に関しては平等主義・無関心主義が支配的でした。さきの危機的状況が、この期に至って表面化したのは偶然とはいえません。その土壌は、宗教を軽視し、あるいは無関心でありつづけた日本の教育の中で醸成されたといえます。この危機的状況はいわば価偵中立主義の間隙を突いて狂い咲いた。“徒花(あだばな)”であったということができます。現実に帰属している既成の宗教がすべて私的領域に追いやられて公の教育の場から排除されるならば、宝の持ちぐされに終らず、弊は末代に及ぶことになります。信教の自由の原則と宗教の教育的役割をいかに統合するかを再考する必要があります。その意味で”葉公愛竜”の譬喩をじっくり味わってみることが大事です。仏教的用語法にしたがえば、人間は依然として貪(とん)(むさぼり)瞋(じん)(いがり)癡(ち)(おろかさ)の三毒の結縛から解き放たれていないといえます。あたかも糸の切れた凧のように、幻影を追って空中を浮遊しているかのようです。
6世紀半ば、仏教はわが国に伝来して以来、次第にその風土に根を下して精神文化を培ってきました。仏は、当初は蕃神などとよばれて、毛色の変った外来の神として呪術的効用のレベルで受け容れられました。しかし鎌倉時代の禅仏教と浄土教の成立によって日本的心性として大地に根をおろしたといわれます。つまり、大地性を確立したとされます。これは近代の禅匠鈴木大拙師の見解です。最澄・空海の平安仏教に大地性が欠けていたかどうかには問題が残りますが、いまは問いません。空を翔ぶ飛行機やロケットも基地をもってはじめて天を飛翔することができます。人間も同様です。現代ではあまりにも大地と乖離(かいり)した環境にひとはおかれています。そうかといって、わたしたちは古き良き時代に逆行することもできません。“文化”(culture)ということばは、“耕す”ことを原意にもちます。人間も“こころの大地”を耕すことから始めなければなりません。人間は“文化”の耕作者です。
道元禅師の真竜や橋本師の天動説も、ともに大地に根を据えた模象でない真竜を見出すことの意義を説こうとするものと考えなければなりません。しかし、これが上滑りのことばだけで終るならばいっきょに模象に転落してしまいます。禅のことばに「赤肉団上(しゃくにく)の一無位の真人(しんにん)」(臨済録)とあります。血の通ったこの肉体に具わる真実の自己(真竜)の究明をいうことばです。
一般にひとは、社会的地位や財産などの模象を身に纏って生きることを常としています。しかし、それらをただ否定することだけでは、どこにも真竜を発見することはできません。つまり、模象を斥けるだけであるならば、真実の竜はいつまでたっても、自らの視野に入ってこないことになります。現在わたしたちが直面している状況は模象かも知れないけれども、この現実から真竜を見出していかなければならないのです。模象か真竜か、あるいは地動説か天動説かという二者択一ではありません。
道元禅師のいまひとつの指南書に『坐禅箴』があります。そこに「彫竜を愛するよりすすみて真竜を愛すべし。彫竜・真竜ともに雲雨の能あること学習すべし。」とあります。彫竜・真竜はそれぞれ“身(からだ)の坐禅”(修行)と“心の坐禅” (悟り)を指します。ともすれば身の坐禅は低く心の坐禅は低く坐禅は貴いと弁別しがちですが、それは一応の趣旨にすぎません。後半の「彫竜・真竜ともに雲雨の能あること」をじっくり参究してみる必要があります。両者ともに雲を呼び雨を降らす力を具えていることの指摘は尋常ではありません。“行”と“悟り”を区別する一面観を透脱してはじめて“宝蔵おのずから開けて受用如意”なる境地が現成(げんじょう)することになるわけです。道元禅師の「修証一如」の禅風はここにきわまります。
直面する現実態の中に真竜発見の緒を見出していくことが禅の究極の課題であります。
(文学部教授)