12月8日は釈尊が悟りを開かれた日として伝えられています。これは中国・日本などの大乗仏教圏の伝承です。北伝と称しています。他方、束南アジアの上座部仏教圈の諸国での伝承(南伝といいます)では、ヴェーサーカ月(太陽暦の5月ごろ)の満月の日とされています。若き日以来、心に抱きつづけていた人生の問題(四苦)を解決すべく、求道の旅にでた釈尊は、ガンジス河中流の当時における最大の王国マガダに至ります。この地では革新的な思想家が多くたむろして宗教的な共同体をつくっていました。釈尊はそこでヨーガの瞑想や苦行を重ねた末、それに満足せず、ついに、菩提樹のもとでみずからの独自の揺ぎない境地に到達します。これが菩提樹下の正覚、成道という事実です。その時の釈尊の境地は、余人の思量を遥かに越えることだというほかはないことになりますが、原始経典の多くは、「縁起の法(真理)」であったことを伝えています。この世に存在するものは、すべて相互依存の関係性においてあるというのがその趣意です。その消息を伝える経典のひとつは、「これある時かれあり、これ生ずるよりかれ生ず。これなき時かれなく、これ滅するよりかれ滅す。」と定型的な表現で伝えております。すべての存在は独立の存在として常住不変であるのでなく、相関的な関係においてあることを意味します。
釈尊以後の仏教の歴史は、ある意味でこの縁起の理法を軸として展開したといえます。釈尊なきあと、その教団は部派仏教ないし小乗仏教という呼称のもとに発展していき、精緻、複雑な教学の体系を作りあげていきます。そして、紀元1世紀ごろから、新しい救済理念としての菩薩行の実践とその理論的根拠としての「空」の思想を提唱していきます。般若経典や華厳経典など多くの大乗経典が作られます。これらの原始経典や大乗経典のすべてが、釈尊成道の真相を明かすことを意図してきたといえます。
そこで、釈尊の正覚の内容が縁起の理法であり、あらゆる存在が相関的関係性にあることであるとしても、このコメントで一応のことばの理解を得ることができますが、その内実については、いまひとつ目から鱗が落ちるというようには納得いたしかねます。
しかし、ここにひとつのヒントとなることがらがあります。中国の禅憎が伝える語録に、つぎのようなことばがでてきます。
釈迦牟尼仏、明星を見て悟道して曰く。「我、大地と有情と同時成道す」と。
この前半は史的事実を語るものとしてすなおに理解することができます。釈尊が暁の明星をみて悟りを開いたということですから、文字通り、紀元前6・5世紀ごろ、インドに生まれた、幼名をシッダールタという求道のひとが、菩提樹のもとにおいて悟りを開いたという史実を意味する以上のことをここに読み込むことはいまの場合は必要ありません。たとえば、アレキサンダー大王が紀元前326年にインダス河上流に侵入して、パンジャープ地方を征服したことと同様です。しかし、これに続けて、「我、大地と有情と同時成道す」とあるのは、いささか合点しかねるところです。
大地とは森羅万象、つまり環境世界のことです。そして、有情とはこの世に生きるすべてをいいます(人間だけではありません)。常識的には、悟りを開いたのはほかならぬ釈尊そのひとのはずですから、大地と有情とは釈尊の悟ったことにまったく関わらないことになります。ところが、この語録はあえて、「我、大地と有情と同時成道す」と釈尊をして語らせています。この点には注目する必要があると考えます。生物、無生物という環境世界の成仏ということがどうしていえるか疑問となります。ところが、仏教、とくに禅の書物のなかにはこのことが、しばしば主題として取り挙げられます。
11世紀の宋代の詩人として名高い蘇東坡(そとうば)について、つぎのような話が紹介されています。このひとは仏教に造詣の深いことでも知られています。もともと役人でしたが、往俗のまま深く仏教に帰依して、黄州(湖北省)の地で居士(在俗の篤信家)として生涯を終えています。たまたま、実弟の蘇轍(そてつ)を訪ねる途中、履山(ろざん)(江西省)の禅憎昭覚に見(まみ)えて、ひとつの公案を与えられます。公案というのは、禅の師匠が弟子の力量をためすために与える問題のことです。師の昭覚が与えたのは、「無情説法の話(わ)」といいまして、意識や感情をもたない無生物の説法をいかにして聞くかという問題です。
これにはひとつの故事が伝えられています。ある僧が師の南陽の慧忠国師に質問を投げかけます。慧忠は六祖慧能の法を継いだ高足であり、この「無情説法」の公案によってよく知られています。「無情また説法するや否や(山や石ころなどの無生物も法を説いているのでしょうか)」、すると師は答えて「常説熾(し)然、説いて閑歇(かんけつ)なし(途切れることなくさかんに法を説いている)」といいます。僧はつづけて問います。「某甲(それいがし)、甚麼(なん)として聞かず(では、どうして私には聞こえないのですか)」、「汝、自ら聞かず、佗(た)の聞者を防ぐべからざるなり(お前に聞こえないのは、お前が勝手に聞こうとしないからだ。誰もそれを邪魔するものなどないのだ)。」さらに問うて「未審(いぶかし)、什麼人(なんびと)か聞き得るや(分りません、無生物の説く法を一体だれが聞くことができますか)」、すると師は、「諸聖聞き得(聖人たちは聞くことができる)」と答えます。さらに「和尚また聞くや(では、師は聞いていますか)」、答えて「我、聞かず(いや、わしは聞いておらん)」と師慧忠が放ちます。つまり、自分は聖人ではないというわけです。慧忠は自分を強いて無情の立場においています。無情の説法を聞こうと思うならば、聞く側も無情の無生物にみずからを置かなければならない。自らをむなしくして、無情となって無情に対するものが聖人といえるというのです。
僧はつづいて問いかけます。「和尚既に聞かず、争(いか)でか無情の説法するを知るや(師も聞いていないのに、無情が説法するのがどうして分るのですか)」、すると師は、「幸いにして我聞かず、我もし聞かば則ち諸聖に斉(ひと)し、汝、即ち我が説法を聞かず(私が聞いていないのはお前にとつて幸いなことである。私がもしその説法を聞いていることになれば、私が聖人と同じになってしまう。そういうことになれば私が無意識になってしまって、私がお前に説くこともできないことになり、お前は私の説法を聞くことができなくなるではないか)」とたたみかけます。平凡人でありながら無情の立場に身を置くことのできるひとこそ無情の説法を聞くことができることを教えていることになります。つまり、慧忠国師は自らを平凡人と無情の中間点に置いて橋渡し役を演じていることになります。慧忠は、自らを無情の立場においていますが、聖人の意識に安住することを拒否しているかのようにみえます。この点にこの公案の眼目があることになります。
僧はさらに問いかけます。「恁縻(いんも)ならば、則ち衆分なし(そういうことでしたら、凡人には法を聞く資格がないことになります)」、つづけて「我れ衆生の為に説く、諸聖の為に説かず(わしは凡人のために法を説いているのであって、聖人のためではない)」、といいます。「衆生聞いて後如何(いかん)(では、凡人が無情の説法を聞いたらどうなりますか)」、答えていいます。「即ち衆生に非ず(それこそ凡人ではなくて聖人だ)」、そのような聖人にはまったく用がないのだといっています。
そこでふたたび蘇東坡にかえります。この「無情説法」の公案を与えられて東坡は、答が見出せず苦悶します。そして、廬山をあとにして弟蘇轍を訪れるために道を急ぎます。その途中、渓谷のせせらぎの音を耳にしたとき東坡の全身に稲妻が走ります。無情の説法を聞いたわけです。
渓声便ち(すなわち)是れ広長舌
山色豈(あ)に清浄身に非ざらんや
夜来八万四千の偈
他日如何が人に挙似(こじ)せん
渓川のせせらぎはそっくりそのままが仏の説法の声である。山肌の彩りは清らかな仏の身体のまるだしの姿である。山色や渓声だけでなく、夜どうし絶えまなしに聞こえてくる草木のざわめきや鳥獣の声色も、すべて仏の説法でないものはない。この心境をどのようにこれから人に聞かせたらよいのだろうか。これがこの詩の趣旨です。大地自然と有情(この場合、蘇東坡)とが一体であることの真実が、渓声の広長舌(説法)と山色の消浄身(法身)に余すところなく顕現していることになります。
道元禅師は、「渓声山色の功徳によりて、大地有情同時成道し、見明星悟道す」(『正法眼蔵渓声山色』)とコメントしています。まさしく、わたしたちか諸仏となるときは、つねに釈尊と同じく諸仏となるときであるということになります。蘇東坡か渓声山色の功徳によって成道したということは、釈尊の成道が蘇東坡に蘇ったことを意味します。そして同時に21世紀に生きるわれわれにも釈尊の成道が蘇りうることをも含意しています。わたしたちは釈尊の成道を単に史的事実の一齣(ひとこま)としてみるのでなく、それを越えて宗教的真実として受け止める必要があります。まさしく、大地有情(環境世界)の功徳によって真実の世界へ転入することが肝要であることをこの公案は教えているといえるでしょう。
この「我、大地と有情と同時成道す」を日常のレベルで理解するひとつの挿話をあげておきます。
俳優の渡辺文雄さん(故人)の随筆につぎのような話が紹介されています。信州の山里で山菜取りをしている古老の話です。毎年、長い冬籠りの季節を過ぎると、晩冬の山の雪解けの季節を迎えます。谷川のほとりや岩陰に芽吹く山菜をみたとき、仏に遭う歓びに浸る。手を合せて山の恵みに感謝して、尊い命を有難うという思いで手に摘み取り、数株を残して別れを告げるといいます。雪深い信州の山あいに生きるものにとって、谷川に棲むヤマメや木陰に芽吹く山菜は命の糧としてかけがえのない尊い恵みです。この恵みに生かされていることを実感する瞬間だといったということです。この古老の話を聞いて、渡辺さんは生きる尊さを知ったことを述懐しています。
「自然との共生」が人間の側の身勝手な思惑で叫ばれるとすれば、これは空疎なものに堕してしまいます。近代にはじまる科学技術の恩恵は手放しで称賛できないことになります。いま、わたしたちは心の風化を反省する必要があります。
(文学部客員教授)