「非風非幡」とは、禅宗第六祖の慧能(えのう)大師の言葉を取り上げた公案です。六祖慧能は五祖弘忍(こうにん)の衣え鉢はつを受けてから、南方に隠れて世に出る機会を待っておりました。六祖39歳の時、儀鳳(ぎほう)元年(676)、南海(広州)の法性寺(ほっしょうじ)という寺で印宗(いんしゅう)法師という方が『涅槃経(ねはんぎょう)』の講義をされた折の話です。
その時、寺では刹幡(せつばん)という幡(はた)を揚げて、説法が行われることを遠近の人々に知らせておりました。どういう法縁か、あるいは近くにおられた六祖が法座の噂を聞きつけて偶々(たまたま)聴講しようとされたのかはわかりませんが、本堂におられたようです。風の強い日で堂前の幡は喧(かまびす)しい音を立ててはためいていたのかもしれません。そのうちに、ふたりの僧が幡の様子を見て議論を始めました。一人は「幡が動く」といい、もう一人は「風が動く」といって互いに自分の意見を擁護し相手の意見を反駁して譲りません。この二人のやり取りを見かねたのか、六祖が議論に加わることになります。六祖はきっぱりと「風が動くのでもない。幡が動くのでもない。あなたたちの心が動くのだ」といいます。それを聞いた二僧は、「悚然(しょうぜん)たり」と書かれております。悚は「おそれる」「すくむ」の意味で、悚然とは「恐れ立ちすくむさま」「ぞっとしてすくむさま」を示す言葉です。「あっけにとられる」の意もあるようです。二僧はびっくりして、恐れ入ってしまい、言葉を失ってしまったので、その議論はしばらく終わったということです。
この公案を読むと、未だ世に名も知られていない六祖の力量が尋常でないことがわかります。六祖の言葉はじつに理に適った聡明なものでありますから、そのように思われるのも確かですが、終盤の悚然という表現から六祖の只ならぬ雰囲気というものが伝わってくるのです。文や言葉はそれらの書き手語り手のひととなりを表すといいます。特に音声語というのは、語り手の性格や意志、人間性といったものまでを相手に知らしめるところがあります。この公案の六祖がどのような声で、どのような語り口であったか、本当のところはわかりませんが、二人の僧を一言にして説き伏せ、感服させ、「この人は一体何者なのだ」と目を瞠みはらせたのは流石(さすが)という他はありません。きっと周囲の人々も一瞬にして静まり返ったのではないでしょうか。
ところで、印宗という方は『大般(だいはつ)涅槃経』に精通しておられたようで、勅を受けて大敬愛寺という寺院に住せられたこともあったようですが、後にそこを辞されて五祖弘忍禅師に参ぜられたようです。ですから、この方が法性寺で涅槃経を講じられた折に、その法座にいわば同門の慧能大師がお出でになったというのは、まったくの偶然ではなく、大師が印宗法師のことを何某(なにがし)かご存じだったからという推測も可能かと思います。この両者の出会いの場所については諸説あるようですが、印宗は慧能に会われて涅槃経の玄理を悟って大師に師事され、その法を嗣(つ)がれたともいわれております。あるいは両人の出会いの場所が法性寺であり、世に隠れていた慧能の存在を印宗が初めて知ったのも、この説法の時であったかもしれません。
無門慧開(むもんえかい)禅師は『無門関』の中で、この本則について「これ風が動くのではない、幡の動くのでもない、心が動くのでもない。祖師の本心は一体どこにあるのだ。もしここのところをしっかりと見ぬくことがあれば、この二人の僧は鉄を買おうとして金を得ることになる。祖師の言葉は「忍俊不禁」、即ち「笑いをこらえていたものがついに我慢しきれなくなった」ようなもので、祖師の老婆心切が仇(あだ)となって秘密を漏らしてしまったのだ」とおっしゃっています。その後の頌には「風幡心動、一状に領過す」といって二僧も大師も同じ過ちを背負うことになったといっておられます。慧能大師にしてみれば、幡の動く様子を客観的にのみ捉えようとした二僧の見解は同罪で、主観の働きに一切触れないところが不十分と思われて、つい口が滑ったという趣ですが、ここでいう「心」というのが、単に主客二分の一方の主観的方面の不足を補ったのみとするならば、それも進歩ではありますが、究極的に禅者が求める境涯というのではありません。まして「絶言絶慮(ぜつごんぜつりょ)」のところを求める禅者にしてみれば、いささか多弁に過ぎたといわれても仕方ありません。それゆえ無門も大師を批判するかのような言葉を投げつけながら、慧能の「心動の心」がどういうものかを詳細綿密に思量することを促しておられるのです。言葉は過ちの種、それに加わり加担してしまった慧能は、身を隠していたにもかかわらず、大いにぼろを出してしまったといえましょうが、他者を驚かせ動かす優れた言葉を発したのは流石という他はありません。
ところで、西洋哲学においても主客関係の問題は重要なテーマです。かつてエマヌエル・カントは自著『純粋理性批判』の中で自らの認識論の発見を「コペルニクス的転回」と呼びました。コペルニクスは15・16世紀に存在したポーランド出身の天文学者・カトリック司祭で「地動説」を唱えた人物です。当時は地球中心の世界観でしたから、大地は不動で、天空が廻(めぐ)るものという考えが普通でした。そういう時代ですから、彼の説はそれまでの天文学の定説からしても、また一般常識からしても、まさに「驚天動地(きょうてんどうち)」のあり得ない考えだったと思われます。カントは、自分の認識に関する発想は「人間の認識以前にすでに認識対象は存在しているのであって、人間の認識はその対象に依拠する。人間の認識対象の存立はわれわれの認識に先んじてあり、この順序は変わらない」という従来の認識論の常識を覆(くつがえ)し、人間の認識能力は有限なものであり、人間は「物自体」を認識できないといいます。そして、むしろ人間の主観的先天的認識形式(純粋直観形式および純粋悟性概念)が人間の認識対象(現象)を構成していると主張しました。その意味でわれわれの認識世界は現象世界に限定されることになります。この主客転倒の認識論を確立したという自負を込めて、カントはこの言葉を使ったといわれています。
また、エドムント・フッサールは、自身の「現象学」を説明する用語としてギリシア語起源の「ノエシス」「ノエマ」という言葉を用いています。前者は思考作用、すなわち意識の機能的作用的側面を指し、後者はその対象、すなわち意識の客観的内実を意味します。フッサールは「志向性」ということを強調します。この言葉は古くはアリストテレスやブレンターノといった先人たちによっても用いられてきましたが、フッサールはこれに新たな意味を付与したといえます。彼によれば人間の意識は「志向性」を持っており、いつも「何かについての意識」という形で存在するわけです。それはしかし、我々の意識が何らかの外的対象に向けられるという構図における、いわば意識の作用に備わった特性というのではなく、われわれの主観的体験世界に内在するノエシス―ノエマ的相関構造の持つ方向性のようなものと考えられます。その意味でわれわれの意識はいつも志向的意識であり、そうした意識の対象がわれわれの主観的対象(心的現象)というわけですから、現前する世界は当面ノエマ的意識世界ということになります。詳細な検討は割愛しますが、このようにカントもフッサールも人間の生活世界、体験世界が主観的であることを率直に認めて、そこから再出発しようとしている点は共通していると思います。
さて、こうした世界の主観的側面への近代西洋哲学の気付きは、それ以降の人間の思考に大きなインパクトを与えました。一方、時代性や意図の違いはあったとしても、非風非幡の公案における慧能の指摘もまた、人々の思考に強い刺激をもたらしたと思います。そして、カントが現象の彼方に想定した「物自体」の世界やフッサールが「現象学的還元」の彼方に見ようとした世界は、この公案が究極的に求める主客を超えた本心本然の世界と重なり合うように思うのは私だけでしょうか。ただ、カントもフッサールもそれらを把握する方法については確実な手段を提示していないようですし、われわれ現代人はそういう世界への探究をとっくに断念しているかに見えます。ここでは、その把握可能性についての議論は中断しますが、これらのいうなれば「転倒の論理」は、言語・論理レベルの事態に限定されたとしても、私たちの思考がどんなにか不自由で偏見に満ちており、窮屈なものであるかに気付かせてくれる威力を持っています。私たちの心に新鮮な刺激を与え、インスピレーションをもたらすものとして、こうした「公案の言葉の持つはたらき」は再評価されてもよいのではないかと思います。
われわれは、自分が思いもしなかった想定外の出来事に遭遇したり、自分と違った思考や行動をする他者に会うと動揺します。それで打ちひしがれて、まいってしまうこともありますが、大変な刺激を受けて心が高揚し、やる気が湧いて明るい前向きな気持ちになったりすることがあります。アリストテレスは驚きから哲学が始まるといいましたが、自分の無知を痛切に感じさせてくれるような出来事や他者の言葉に出会うと、無知から脱しようという謙虚な気持ちになり一念発起することがある、少なくともそういう転換のチャンスが得られることになります。現代はある意味で情報の単純化と専門化が共存しています。「自分なりの理解」と「他人任せの知識」が混沌とした情報社会を作り出しているともいえるでしょう。しかし、自分を取り巻くこんな現実の中にも「目から鱗(うろこ)が落ちる」契機になるような言葉や体験はたくさんあるのではないか、この非風非幡の公案に参じながら、むしろそれに気付く観察力の減退した己のあり様に「喝(かつ)」を入れなければならないと感じています。